聖書にあるブドウ園の譬話を読むと、天使長とアダムの関係がよくわかる。
天使長は神様と共に宇宙創造の最初から苦労してきた。
しかし、最後に神様はアダムを創造された。その全てがアダムの為にあった事を知った天使長は、強烈な愛の減少感を感じ、アダムを殺害(霊的に)し、全てを奪い、この世の君となった。
ブドウ園の譬話は、イエス様殺害の予言だが、統一教会にも当てはまるかも知れない。
統一教会の創設当初から苦労してきた古参幹部は、その築きあげた基盤の全てを息子に渡すべきだったのに、追い出してしまった。
マルコによる福音書
第12章(CHAPTER 12)
そこでイエスは譬(たとえ)で彼らに語り出された、「ある人がぶどう園を造り、垣(かき)をめぐらし、また、酒ぶねの穴を掘り、やぐらを立て、それを農夫たちに貸して、旅に出かけた。
季節になったので、農夫たちのところへ、ひとりの僕(しもべ)を送って、ぶどう園の収穫の分け前を取り立てさせようとした。
すると、彼らはその僕をつかまえて、袋だたきにし、から手で帰らせた。
また他の僕を送ったが、その頭をなぐって侮辱した。
そこでまた他の者を送ったが、今度はそれを殺してしまった。そのほか、なお大ぜいの者を送ったが、彼らを打ったり、殺したりした。
ここに、もうひとりの者がいた。それは彼の愛子(あいし)であった。自分の子は敬ってくれるだろうと思って、最後に彼をつかわした。
すると、農夫たちは『あれはあと取りだ。さあ、これを殺してしまおう。そうしたら、その財産はわれわれのものになるのだ』と話し合い、
彼をつかまえて殺し、ぶどう園の外に投げ捨てた。
このぶどう園の主人は、どうするだろうか。彼は出てきて、農夫たちを殺し、ぶどう園を他の人々に与えるであろう。
あなたがたは、この聖書の句を読んだことがないのか。
『家造りらの捨てた石が
隅(すみ)のかしら石になった。
これは主がなされたことで、
わたしたちの目には不思議に見える』」。
彼らはいまの譬(たとえ)が、自分たちに当てて語られたことを悟ったので、イエスを捕えようとしたが、群衆を恐れた。そしてイエスをそこに残して立ち去った。