求道

全食口へのメッセージ

信者が増えない理由②

人が宗教を信じる理由は色々あると思う。


教えに共感したとか、神様を信じれるようになったとか、悪い因縁から家族や子孫を守りたいとか、世界平和を実現したいとか、罪から解放されたいとか、

救いを感じたとか、、、

統一教会では、神様の悲しめを知り、神様を解放したいなど、etc.

十人十色、人それぞれの理由がある

いずれにしろ、多額の献金をしたり、献身的に活動するのは、それなりの意義を感じたからだと思う。

それなのに、何故、多くの人が一度は教会を受けいれながら去っていくのか。


それはまさしく、原理でいう歴史の同時性という現象なのではないか。


教会に導かれた人達は元々準備された人ではなく、イエスの時と同様、乞食や浮浪者、通行人のたぐいだった為なのではないかとも考えられる。


しかし最大の原因は、統一教会の『救い』のレベルが高すぎる為なのではないだろうか。


『救い』を感じるのにも段階がある。


1. 神様の存在を実感する段階。


聖霊体験や奇跡的病気治癒を体験する事により、神様の存在を信じ『救い』を感じる段階。

これは一般のキリスト教会でもよくみられる。韓国で世界最大の教会、純福音教会では、聖日の礼拝中に病人を壇上に上げ礼拝参加者全員で祈ると実際に病気が癒されたり、異言を語りだす人が現れたりすると聞いている。その様な体験をした人は、神様を信じ、救われたと実感する。


しかし、原理ではキリスト教の『救い』は霊的救いで、原罪を清算されてもその罪が子孫へと遺伝していると指摘し、完全な『救い』には再臨主による霊肉の原罪清算が必要だと説いている。


2. 神様の心情と一体化し、神様の直接主管圏に入り完全に救われた段階。


再臨主のみ言の実践を通して、神様の心情を体恤しつつ、アダム・エバが二人で堕落したので、復帰の為に二人で祝福を受け霊肉原罪清算を為し、残された完成圏を二人で歩み神様の直接主管圏を目指し、完全な『救い』に至る。


原理の主張する『救い』は、とてもとてもレベルが高いのです。


祝福により霊肉原罪清算がなされても、遺伝罪、連帯罪、自犯罪は残っているし、何よりも堕落性を脱ぐ事が実に大変なのです。


神様を中心とした家庭的四位基台の完成が成されて、はじめて完全な『救い』がなされるのですが、もしかしたら文先生御自身も成就できなかった可能性があるのですから、、、。(今の御家庭の状況を見て世の中の人が完成した家庭だと評価するだろうか)


御子女様や二世の現状をみると、完全な『救い』に至った家庭がどれほどあるのか、つまり罪を犯そうとしても犯すことの出来ない神様の直接主管圏に到達した家庭がどれほどあるのか、はなはだ疑問なのである。


完全な『救い』が自分だけでなく、そのモデルすら出来ていないように見える事が、信者が増えない理由のような気がする。


しかし、神様の摂理は今も継続しているし、もしかしたら子女様の中に実現出来ている方がおられるかも知れない。