求道

全食口へのメッセージ

真の愛

イエスは「汝の敵を愛し、迫害する者の為に祈れ」と語り、

アボシは「恩讐を愛せ」と語った。


統一教会はアボシの教え通り、キリスト教からは異端だとされながらも、超宗教活動を続けてきた。ところが、身内の分派に対しては徹底して排除してきた。他宗教には寛大でありながら、同じ教義をベースにしている分派には厳しい。これ自体が矛盾なのではないか?


分派に対し裁きまくり、活動している人を除名する。これが愛に満ちた行為と言えるのか?


コリント人への第一の手紙 第13章

:01)たといわたしが、人々の言葉や御使たちの言葉を語っても、もし愛がなければ、わたしは、やかましい鐘や騒がしい鐃鉢と同じである。:02)たといまた、わたしに預言をする力があり、あらゆる奥義とあらゆる知識とに通じていても、また、山を移すほどの強い信仰があっても、もし愛がなければ、わたしは無に等しい。:03)たといまた、わたしが自分の全財産を人に施しても、また、自分のからだを焼かれるために渡しても、もし愛がなければ、いっさいは無益である。:04)愛は寛容であり、愛は情深い。また、ねたむことをしない。愛は高ぶらない、誇らない。:05)不作法をしない、自分の利益を求めない、いらだたない、恨みをいだかない。:06)不義を喜ばないで真理を喜ぶ。:07)そして、すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを耐える。:08)愛はいつまでも絶えることがない。


イエス様やお父様の示された愛を理解出来ていれば、イエス様は殺されることなく、御子女様や分派への魔女刈り的行為も行われなかっただろう。

もっと寛大になってもいいのでは?